ばけネコ、人生奪還記。

休職上等!ばけネコがネコに戻る日まで。

なぜ人はカテゴライズしたがるのか。

すごくしょうもないのですが、もやもやもやっとしたことをぼそぼそとつぶやかせてください。

 

子どものころに一番なりたかったもの、それは緒方貞子さんみたいな

 『自分の名前』で生きていけるひと

でした。

 

他の誰でもない、「私だから」が欲しい、と強く思っていました。

 

それが、あるときから、学歴とか肩書とかでしばりつけられているように感じるようになり、苦しいというか、哀しいというか、虚しいというか。

 

 

私は、いわゆる名門高校、旧帝大出身で、大企業に勤務しています。

(ちなみに、その名門高校では完全に落ちこぼれていて、唯一いい成績をもらったことがあるのが大好きな家庭科と体育でした。大学時代は、興味のあった科目以外は試験前に大学に泊まり込んで一夜漬けして何とか単位を取って卒業証書をもらっただけで、恐ろしすぎて成績表を取りに行くことすらできず、今でも自分の成績を知りません。)

地元の公立高校・私大出身で非正規雇用の兄に言わせれば、「ばけネコなんて、学歴だけで就職だってうまくいくじゃないか」、と。

 

しかし、そのばけネコは、今では休職中で、一番嫌いなもの=職場です。堂々と宣言できます。

かの有名な一流企業で、かの超名門高校・大学出身の上司が嫌すぎて、吐き気とめまいが止まりません。

 

学歴や肩書が、一体何になりましょうか。

 

 

学歴とか肩書って、そのひとを形づくる構成要素の一つなのかもしれないとは思います。

でも、それ自体がその人自身の価値を決めるわけでもなければ、その構成要素があれば人間として尊敬できる立派なひとか、と言われれば絶対に違うと思うんです。

 

友だちや恋人だって、「○○大学出身だから友だち・恋人になりたい」んじゃなくて、その人がその人であるから、友だちなり恋人になりたいんだと思うんです。

 

お偉い方には、職場では部下やほかの会社の人とかがペコペコするかもしれません。

でも、それは、あくまでも「肩書」にペコペコしているのであって、「そのひと」にペコペコしているわけでは必ずしもないと思うんです。

だから、そのことを自覚して、どんな場面であっても、ひととして、相手に敬意をもって接することは当然だと思うんです。

(そして、そういうひとだからこそ、部下や他社の方とかが、「このひとについていきたい」と思って、仕事もうまく回っていくんだと私は思うんです。)

 

 

なぜこんなことを突然と思われるかた、もしかしたら気分を害されたかたもいるかもしれませんが、心療内科で一番嫌いなことが、勤務先とともに、「どこの高校出身ですか?大学は?」と聞かれることなのです。
(2つの心療内科にかかったことがあるのですが、どちらでも聞かれたのは私だけでしょうか。)

 

一度、入院を要する感染性の病気になった時にも、担当医師に、「XX高校出身ね。そりゃ勉強しかしないから病気にもなるわ。」と言われたことがあるのですが、感染性の病気になるのに、出身高校って関係あるんでしょうか。

病原体が近くにあった、ただそれだけのことじゃないんでしょうか。

 

それと同じで、私が心療内科にかかることに、出身高校や出身大学が関係あるんでしょうか。

私が、いまの環境にたまたま居合わせて、相性が非常によくなかった(=病原体となりうるものがあった)から病気になった、というだけじゃないんでしょうか。

 

どうしても、そうやって学歴とか肩書だけに結び付けてみられること(あるいはそういうようにしか見てもらえないように感じること)に納得ができないというか、抵抗感があって、非常に哀しくて、虚しく感じてしまって。

 

少なくとも、私はいつだってただの私です。

休んでいて、やってやろうと思ったことの一つが、「焼き立ての食パンにかぶりつく」という程度です。(実際にやってみたら、上あごをやけどしましたけど、それでもすごく幸せでした。)

 

子どものころに一番なりたかった『自分の名前』で生きていける人になれるように努力したいと心から思いました。

 

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*ばけネコ*